奈良県吉野郡大淀町佐名伝自治会 歴史・文学・産業・行事・イベント・活動内容などの紹介

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トップページ> 神社・仏閣 >淨迎寺
 淨迎寺(浄土真宗本願寺派)(佐名伝小字前ノ畑)
 山号を称号山という。門内すぐ右に鼓楼、ひだりに鐘楼、正面に南面して五間四面入母屋造り
の本堂があり、その右に庫裏がある。創立年代はよくわからない。一説では浄光院畑の真言系寺
院が廃れて淨迎院藪の位置へ遷り、さらに現在地に建立して真宗寺院になったと伝える。
 今中村家裏の淨迎院藪にある大日堂縁起札は、「享保六辛 丑暦七月十五日に堂建立 願主称
号山淨迎院」と判読できる。中村綾雄氏所蔵の貞亨3年(1686)正月十三日付文書では、従来新住
宮前寺を旦那寺として一向宗淨迎院道場といったが、26年前(万治3年1660にあたる)に退転した
ので、二間四面の道場を再建したいと願出ている。過去帳写し(嘉永4年1851)は元禄二年(1689)
10月17日から始まる。本尊木仏下付書に、「木仏尊形、釈寂如(花押)元禄五暦(1692)壬申正月
晦日、願行寺門葉宮前寺下和州宇知郡左名手村惣道場淨迎寺」とある。先の貞亨三年から三年目に
過去帳が始まり、六年目に本尊木仏が下付され寺号を公称して真宗寺院の形を完備したことになる。
本堂は享保8年(1723)に再建(当時住僧教否記棟木打付板書)され現建物のほとんどは明治34年
10月3日の落慶である。
 本尊阿弥陀如来は立像で高さ54センチ、左右に親鸞・蓮如両御影をまつる。余間の左の上宮太子
画像と三朝高僧画像、右の本願寺前法主良如画像はすべて宝永3年(1706)3月5日付釈寂如の裏書
である。本如画像は嘉永2年(1849)正月19日釈広如の裏書。このほか嘉永年代の和本聖徳太子伝
版木(御宝物略縁起、大谷仏閣、専売公社ダルマ木版)がある。半鐘は昭和11年大雄の鋳造、境内
に昭和40年2月建立の大雄法師頌徳碑がある。
昭和48年2月11日発行の大淀町史より