奈良県吉野郡大淀町佐名伝自治会 歴史・文学・産業・行事・イベント・活動内容などの紹介

MENU
佐名伝について
温故知新
歴史
神社・仏閣
幻の寺
文学
あきひろの報告

行事
産業
レジャー
写真ギャラリー
写真ギャラリー2013
写真ギャラリー2014

写真ギャラリー2015

写真ギャラリー2016

写真ギャラリー2017

写真ギャラリー2018

写真ギャラリー2019

 
佐名伝自治会
奈良県吉野郡大淀町佐名伝
お問合せ
  
  
トップページ> 神社・仏閣 >佛眼寺淨迎寺
 

村の鎮守

 
村の鎮守である「御霊神社」は、「井上内親王」を祀っています。
「井上内親王」の読み方は、「いのうえ・いのえ・いかみ」とあるようですが、
私たちは「いのうえないしんのうさま」と仰いでいます。
「井上内親王」は717年(養老元年)中央では平城に都が造られ新しい時代の幕開け
のころ、第45代天皇の聖武天皇と懸犬養広刀自(あがたいぬかいのすくねとじ)の子
として誕生されました。
 11歳を迎えた井上内親王は伊勢神宮に仕え、白壁王の后となり、白壁王が光仁天皇
に即位されると皇后となられました。



 しかし、時は移り、772年(宝亀二年)三月皇后の井上内親王は大逆の罪により
皇后から下され、同じく五月に皇太子の他戸(おさべ)親王も皇太子から下され、
そして十月、二人とも大和国宇陀郡に幽閉されました。
 そして、年変わり宝亀四年四月、井上内親王と他戸内親王は獄死されたのでした。
この事件は、皇位継承の争乱によるところがあり、早くから二人の死を弔うとともに
祟りを恐れるほどの事件であったと言えます。
「井上内親王」を慕い、その流れの皇位継承を願っていた吉野の地方豪族たちは、
親王なきあと、各地の山稜に神社を設け「吉野皇太后」として読経の奉納が行われ
ました。村の鎮守・御霊神社は、その一つと言えます。今日に至っては村の鎮守の
神様としてお祀りされ親しまれています。
 今日村の安穏を祈願し、折にふれて村人・宮座講により参詣の行事を行っています
お正月の年賀の参詣・自治会主催の成人式・夏・秋の大祭りをはじめ。毎日、村人の
参詣があり、当番により定期的な清掃も行われています。
 特に秋のお祭りに際しては、旧大阿太村の各地と同じように「お仮屋」建てが
行われています。各地により建て方や資材に違いがあり、佐名伝独自の「お仮屋」
が例年、宮座講によって建てられています。
 
 

菩提山慈心院 佛眼寺(浄土宗)●ぶつげんじとよみます。

 浄土宗でぶつげんじと読むのはここだけです。浄土真宗では数ケ寺ある
 ようですがあとは古くからの宗派で占められていて、天台宗から曹洞宗に変わった寺院や時宗に
 変わった寺院、日蓮正宗の寺院もあります。
 当佛眼寺は非常に古く1565年永禄12年元誉上人6月1日と知恩院資料にある。
 

称号山 浄迎寺(浄土真宗本願寺派)●じょうこうじと読みます。

 

天理教大阿太分教会