奈良県吉野郡大淀町佐名伝自治会 歴史・文学・産業・行事・イベント・活動内容などの紹介

              
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トップページ > 文学 > おいの池
 
おいのは、薄暗いあんどんの灯のもとで、若い僧の引き締まった顔を見て、
生まれて初めてのはげしい恋心を持ちその晩、一晩まんじりとも眠れなかったのじゃと。
あくる朝早く俊海は、いくたびも礼をのべ別れをおしんで修行の旅に出立してしもうたが、
おいのの心についた火はどうにも消すことができず、
いよいよ燃え立つばかりだったそうな。その日からおいのの様子が、みんながびっくりするほど
かわってしまった。
明るかった顔がくらく思いにふけり、いつも川のほとりにあるひょうたん池のかたわらに立って、
ぼんやりしていたり、さめざめと泣いていたりしたのじゃそうな。

嘉兵衛はそれがなによりも心配だったが、どないしようもない。そのとしも暮れて、
新しい年の正月も終わりに近い雪の降りしきる日、南都興福寺の猿沢池畔の坂道を、
深いまんじゅう笠をかむったみすぼらしい若い娘がのぼっていった。
ふた月ばかりのうちに、狂うような恋心にすっかり
やせたおいのである。

娘心のひとじに俊海を興福寺にたずねてきたわけよ。山坊を訪ねて面会を求めると、
俊海はおった。命の恩人なのでよろこんで迎えてくれたが、おいのはここでは話も
でけんからというて、五重の塔の下の人気のない雪の木陰に来てもらい、
そこで燃ゆるような恋心を必死になってうちあけたのじゃと。
びっくりしたのは俊海じゃ。「なにをおっしゃいます、おいのさん、
わたしはごらんのとうりの修行僧、ご恩は忘れませんが、あなたのお心に添う
わけにはいきません。どうぞお許し下さい。」といって、すがりつくおいのの手をふりほどいて
寺門深くかけこんでしもうたそうな。死をかけてのおいのの心が、
そんなふうに冷たく跳ね返されたので、降りしきる雪の中をよろめくように、
おいのは村まで帰ってきたが、それから二日あとの朝、一通の遺書を残して、
ひょうたん池の青黒い水の底に沈んでいるおいのの姿がみつけだされたんじゃと。
遺書には、俊海にたいする一筋の恋に命をたつということと、先立つ不孝を心から
わびてあったそうじゃ。

ところが、そんなことがあってから数日後、南都の興福寺にいた俊海がなんの
気なしに猿沢池のところへおりてきてふと見るとこの間おいのがかぶっていた
まんじゅう笠が浮かんでいるのではっとおどりたという。
そらびっくりするわ。笠を引き寄せてみると、笠の裏に「おいの」と書いてある
から間違いない。一体どうしてここにおいのの笠が浮いていたのだろうかと俊海が
不審に思っているとき、後ろから肩を叩くものがおった。一人娘の切なる恋を、
娘にかわってせめて一言だけ俊海に伝えてやりたいという親心から、はるばるやってきた
嘉兵衛だった。俊海はその顔をみると、「あっ、嘉兵衛さんおいのさんは」と聞いた。
「はい、あなたを慕って、このあいだ村の池に身を投げて死にました。」
「えっ、それではこの笠は?」その笠を見るなり、嘉兵衛もびっくりして
「あっ、これはたしかにおいのの笠、どうしてここへ」と不思議そうに聞いた。
昔から村のひようたん池と奈良の猿沢池とは、底の方で続いている。
そのためにひょうたん池の堤に立って、強く足をふむと、下が空洞になっているのか
鼓を打ち鳴らすような音がしたので、村の人たちはそれを「つつみが芝」と呼んでいた。
言い伝えのとうり、これは地下をうねうねと空洞が通って二つの池をつないで
いるものに違いない。身投げのおり,ひょうたん池に投げ込まれた笠が、
恋しい俊海への情を込めて、地下を延々とくぐって猿沢池までたどりついたものに違いないと、
俊海も、嘉兵衛も思ったそうな。

ひとすじの娘の恋のいじらしさに、そのまんじゅう笠の話を聞いた村の人たちは、
いずれも涙を流して同情し、それからのちその池を「おいの池」と呼ぶようになったというこっちゃ。
その池は高い岸の上にあって、下の吉野川の水面とかなり落差があるにもかかわらず四季いつでも、
水が干上がったためしもなく、増えもせず、へりもせずに水位を保っているが、
その池が、猿沢池と続いているっちゅうことは、その水位がおんなしやからだという
わけじゃわな。ふしぎな池だ。なお俊海はその後どうなったかというと、
興福寺から煙のように消え去ってしもてんと。どこへいったんやろか、生きているのか、
死んでしもたんかだれもしらんというこっちゃ。いまだにわからん。
それで村の人たちは、決して口にださんかったけれど俊海もまた、おいのを見たときからおいのの
姿が心に刻みこまれていて、そもために姿を消して、きっとどこかで、おいのの後を追って
死んでしまっているに違いない。といいあっておったが、もちろん本当のことはなあんにもわからん。